毎日新しいことをしなくちゃいけないという強迫観念

雑記

頭の中で常に感情や思想が渦巻いている。物音がしたり、独特なにおいがすると、私の意志とは無関係にそちらに意識が向いてしまう。同じ姿勢のまま椅子に座り続けるのがどうも苦手だ。おまけに、「自分はこうあるべき」という理想像、いや、強迫観念にずっと縛られ、それとはほど遠い一日になった日には自己肯定感がどっと下がる。

感受性が強すぎるからか、人のしぐさや言動から、心情を読み取ろうと常に頭を働かせている。「これは言ってもいいことだな」、「これは失礼なことだな」、「これは内輪話になってしまうからやめておこう」、「この話は聞く人によっては自慢気に聞こえるかもしれないからやめとこう」、「この表現よりこの表現のほうが角が立たないな」「困っているなら助けなくちゃ」会話をしようとするたびにいちいちそういうことを考えるから、疲弊してしまう。

会話が大人数になればなるほど、考えなくちゃいけないことがどんどん増えていって、疲弊度合いもどんどん増幅していく。

でも、この社会を構成しているほとんどの組織は、輪を重んじ、協調性を重んじ、助け合いを重んじている。普通に生きるのって、こんなにハードルが高かったっけか。

「鈍感力」が欲しい。鈍感と聞くと、なんだかマイナスな意味合いに聞こえてしまう人もいるかもしれないが、私はむしろ鈍感は圧倒的な「長所」「強み」だと本気で思っている。人とかかわりながら生きていく上で、これほどまでに役に立つ素養があるだろうか。

「スルーする力」よりも、断然「鈍感力」が欲しい。なぜなら、スルーするためには一定のエネルギーを使用するため疲弊するが、鈍感ならそもそもエネルギーなんて使用する必要がないからだ。

私の強みは何だろう。しいて挙げるなら、以下の四つだろうか。
小説や映画には没入して、心の底から感動することができること。(感受性)
人の相談に寄り添えること。(感受性)
言葉を大事にすることができること。(言葉へのこだわり)
好きなこと、ただ一点に振り切れること。(過集中)

なんだかどれも、生きづらさと引き換えに手に入れている力な気がする。
私が私らしく暮らせる未来がいつか来てくれたらいいなあ。

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