最近、将来について悶々とああでもないこうでもないと考えている。
二十代後半は、将来について悩んだり、過去の選択について後悔したりすることで、焦りや不安を感じやすい時期だという。身近な人や友人のライフステージの変化が耳に入ることで、自分と比較をしてしまい、落ち込んでしまう人もいるだろう。私もきっとそんな時期を迎えたのだろう。
「わからないことがわかるようになること、知らなかったことを知ることは、それ自体がとても喜ばしいことであるうえ、視野を広げ、自分自身の選択肢を広げてくれる。」これまではこの考えになんの疑いも持たずに過ごしてきた。だが最近、わかることと知ることは、まったく別の側面も持ち合わせているのではないかと感じてきた。
大人になる過程で、社会の現実や、世間体や、世の中の一般常識とかを知りすぎてしまった結果、それらに縛られてしまい、身動きが取れなくなっている気がするのだ。
それに加えて、人生には、小学校/中学校/高校で学んできたような答えのある問いはほとんどない。転がっているのは、答えがない問いばかりだ。答えがない問題に対して、身動きが取れない状態で、何が正解なのだろうかと悩み、葛藤する、そんな毎日である。
ある経験をして、それを振り返って「正解だった」と思うことは可能だろう。だが、それは本当に断言できるものなのだろうか。人生の主軸を変えうる、重大な選択を行う時は往々にして、選択肢の中から一つを選択すると、それ以外の選択肢を棄却しなければならなくなる。選ばれなかった選択肢を選んだ世界線を体験することはできないのである。
雑念など何も考えずに、好きなことにただひたすらに打ち込んでいた中学生時代に戻りたい、と思うことがある。当時は今よりずっと無知だった。でも、今よりずっと、自分なら何でもできるといった自信にあふれていた。
これからの人生、どう生きよう。正解はないのだから、せめて後で振り返った時に、「ああ、この選択をしてよかった」と思えるような選択をしたい。
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