入社後わずか7か月で退職するまでの流れ 第2話

転職

始まった三交代研修

三交代研修について、上司からは、毎日最低30個はオペレーターに質問して、学んだことをレポートにまとめておきなさい、とだけ指示されていました。
初研修は23時出勤。初対面の、それも筋骨隆々な、世代もバックグラウンドも違う男性が20人くらいいる職場に、新卒の女性がポンっと放りだされた状態です。(大半は30~55歳くらい。)とにかく、心細かったことを覚えています。

働く方々は忙しいので、研修でポツンと突っ立っている私には一切目もくれず、とにかくせわしなく働き続けます。(後日同期や現場オペレーターさんから聞いた話ですが、私が三交代研修の初回で配属された工場は、全国の同会社工場の中で最も忙しいと言われている工場だったようです。)
私は性格上、忙しそうにしている方に話しかけて手を止めてしまうことに躊躇していました。少しひと段落した人がいらっしゃったら、話しかけようと、少し待ってみることにしたのです。しかしながら、どれだけ待っても手が空いた様子の方はいません。そこで、勇気を振りしぼって、班長さんに話しかけてみることにしました。「お忙しいところすみません。いま質問しても大丈夫でしょうか。」すると班長さんは、「いま忙しいから、ちょっと待っててね。」と答えます。「はい。」そう答えて、初めから用意してあった椅子に座り、工場の技術書を読んで勉強しながら、班長さんの手が空くのを待つことにしました。

・・・ところがどっこい、何分まっても班長さんが手が空く様子はありません。なんなら、私に「待っててね」といったことすら忘れているようでした。

machiyo
machiyo

「忙しそうだから、質問できない」なんてのはただの言い訳だ。自分の殻を破って、多少図々しくてもいいから、いろんな人に話しかけて、たくさん学ぶんだ!

そう思いなおし、とにかくいろんなオペレーターさんに質問することにしました。しかしながらこの行為は想像以上に自分にとってストレスでした。私のような、超内向型で、おそらく、HSPの気質を持っている人間にとって、忙しそうな、それもほぼ初対面の人に何度も質問するというのは、かなりエネルギーを消耗します。忙しそうな雰囲気やしぐさ、そして言動から、彼らの思っているであろう「煩わしい。仕事の邪魔をしないでほしい」といった感情を読み取り、それにダイレクトに感情を揺らされてしまうのですから、当然と言えば当然です。実際、話しかけても無視されたりすることもありました。かなり心をえぐられました。

また、上司からの「最低でも30個は毎日質問してレポートにまとめなさい。昔は最低100個質問するルールだったんから、30は簡単でしょう。」という指示・言葉も、大きなプレッシャーになっていました。
(というか、現実的に考えて、毎日30も100も質問してレポートにまとめることって可能なのでしょうか。勤務時間は休憩時間を抜くと7時間です。レポート作成時間を1時間とすると、残りは6時間。30回質問する場合だと、一時間に5回、100回質問する場合だと、一時間に17回程度質問する計算になります。オペレーターさんも、私の質問に何個も対応するほど暇ではありません。・・・このような、現実的に考えて不可能な指示をしてくる機会が、研修を終えた後もたびたびありました。)

帰宅すると、どっと疲れが押し寄せ、食事と入浴が終わったら泥のように眠り、気が付いたら出勤時間、そんな毎日が3か月、続きました。時には帰宅後食事も入浴もできず、気絶したように眠りこけている日もありました。とにかく一人の時間と、睡眠が欲しかったのです。同期と会って遊んだり、ストレスについて話す時間もほとんどありませんでした。なぜなら、同期は三交代研修ではなかったので、8:30-17:00の出勤です。私とは出勤時間も、生活リズムも異なっていたのです。

現場で働く方々のほとんどが、超体育会系だった

入社前から、体育会系な社風ということは聞いていたのですが、当時は「体育会系」という言葉の意味を正しく理解しておらず、単に「年功序列で、若手のうちは裁量をもって働けない」くらいの認識でいたのです。
しかし入社してみて、その言葉の本当の意味を知ることになります。現場で働く方々の間には、驚くほどの上下関係が存在していました。上の人からの指示は絶対です。逆らうことは許されません。少しでも上の人に目を付けられると、場合によってはいじめられて、退職にまで追い込まれてしまうというのです。事実、近年現場に配属された工業高校上がりの新入社員が、職場の先輩からいじめを受け、何人もやめているというのです。この話は、三交代研修中に、良くしてくださった社員の方からお聞きしました。(もちろん中には、とてもお優しい現場の方もいらっしゃいました)

私は体育会系とは無縁の人生を送っていたので、この話をきいたときは、衝撃でした。

ストレスに追い打ちをかけた4つの要因

三交代研修中、ストレスにさらなる追い打ちをかける4つの要因・出来事がありました。
その①2週間おきに研修先の工場が変わる。
3交代研修は、3か月あり、その間に6つの工場を回ることになっていました。つまり、二週間おきに全くの初対面の男性20~30人の職場に放り込まれるということです。二週間おきに1から人間関係を構築していかなければならないことが精神的な負担になっていました。

その②生活リズムがガタガタになる
三交代研修は、二週間おきに A: 7:00-15:00, B: 15:00-23:00, C: 23:00-7:00,の出勤を行っていました。特にC (23:00-7:00)は、寝ていることが想定されている時間での勤務であり、とても大変です。さらに、C→Aや、A→Cになるときに二日程度の休日を挟むのですが、体内時計を調節するために、わざと寝る時間をずらしたりする必要があるため、娯楽や趣味をゆっくり楽しむことができませんでした。


その③研修後に発表会があることを何も知らされていなかった
三交代研修が終わった後、上司の前で三交代研修で学んだことを発表する会があり、レポートとは別にプレゼン資料作成が必要だということを、一つ上の先輩社員経由で初めて聞きました。去年は、しっかり上司から直接プレゼンについての概要を聴かされ、またプレゼンする研究テーマも与えられていたようです。「え、上司から聞いてないの?発表テーマももらってないの?」先輩はとても驚いていました。上司からは一切、そのような連絡をもらっていなかったので、先輩の連絡がなければ、私は発表資料がないために上司に怒鳴られていたのでしょうか。結局、各工場での研修ごとに発表テーマを自分で考え、プレゼン資料を作ることになりました。この出来事は、部署の上司に対する不信感につながりました。現場に放り出して、連絡もなく、新入社員を放置する部署なのかもしれない・・・と不安になりました。

その④朝の帰宅時、自動車で物損事故を起こしてしまった。
C勤務(23:00-7:00)を終え、朝7:00すぎに車を運転して自宅まで帰る際に、他人の家のブロック塀を壊す物損事故を起こしてしまいました。他人の物を壊してしまったことへの罪悪感と、今後発生する費用への不安、今後車を運転することへの恐怖でいっぱいになり、自動車保険会社とのやり取りが正式に終了するまで、気が気でない状態が続きました。
(C勤務の後、自動車事故を起こす事例は他の勤務時間と比較して多いようです。自律神経が乱れていたり、眠気による影響なのでしょうか・・・)

複数のストレス要因を抱えながらの三交代研修をやり抜いた。

様々なストレス要因を抱えた状態で過ごす三交代研修の3か月は、地獄のような日々でした。その時点で私の精神はかなり疲弊していました。しかしながら、この時点では、会社を辞める、と思うまでに至ってはいませんでした。(自分に合わない会社だから、3年くらい勤めたら転職も視野に入れていいかも・・・くらいは漠然と思い始めていましたが・・・)

3か月の3交代研修を終え、所属部署の昼勤にもどった私ですが、さらなる地獄が待ち構えているとは、そのとき想像もしていないのであった・・・

第3話に続きます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました