利己的思考を極めれば、他人に優しくなれるのではと思ったり。

人は、自分自身の中に「常識」を持っていて、その常識を逸脱した行動を平然と行っている人に対してイライラする、という言葉を聞いたことがある。

かくいう私もそんなところがあり、毎日大なり小なり、他人の言動にイライラしてしまいストレスをためている節がある。

例えば、

・出社した時に挨拶をしない人
・退勤するときに無言で去っていく人
・掃除当番なのに一切掃除をしない人
・平然と授業やミーティングをサボる人
・時間や期限、約束を守れない人 
・人任せな人 

などなど。

これらすべては私がこれまで生きてきた中で形成されてきた「私の常識」を逸脱している人々であり、そういうことを平然と行っている人を見ると、気分が悪くなってしまうのである。

だが、「自分の常識は他人の非常識」という言葉もあるように、自分の常識は自分にのみ当てはめるべきであり、他人に当てはめてしまってはいけないことは重々わかっている。


そもそも常識って何なんだろうか。疑問に思い、ChatGPT4に聞いてみた。


やはり、常識は文化や社会、時代によって、また個々人の経験や教育によっても変わるようだ。
自分にとっての常識を他人に当てはめてしまった結果、イライラしてしまうということは、結局不利益を被っているのは私自身ということになる。

他人の言動に対する自分の感じ方に関して、自分の利益を最大限追求するならば、他人の言動に無関心になることで、「イライラする」「もやもやする」という感覚を一切感じないようにするのが一番なのだろう。

自分が何かをするときに、「他人のために」と考えると、知らず知らずのうちに他人に期待してしまって、期待通りの結果・反応を得られなかったときに、落ち込んだり、怒りという感情が生まれたりすることもあるだろう。だからこそ、他人のために寛容になろうとか優しくなろうとかは考えないほうが良いと思う。

まとめると、「他人に期待しないこと、他人の言動に無関心になること。」これらを、他人のために、ではなく、自分のために行おうと思う。そうすれば、結果的に他人の言動に対して寛容っぽくふるまえるようになり(厳密には無関心なだけだが)私の精神も安定化することだろう。

「他人のためではなく、自分のため」実に利己的な考え方であるが、それを突き詰めると、他人にイライラすることがなくなり、結果的に自分自身の表情も明るくなり、周りとの人間関係も円滑になるのではと考えている。

余談 
本記事のタイトルを決定するにあたって、「利己的思考」か「自己中心的思考」、どちらの言葉を使おうか悩んだ。利己的と自己中心的の違いは何なのか。調べたところ、利己的は、自分の利益を最優先にするさまで、自己中心的は、自分を中心に物事を考え他人のことまで考えが至らないさまとのことだった。今回の事例は、利益を最優先にする、というイメージが強かったため、利己的思考を選択した。人によっては自己中心的思考のほうがあっていると感じる方もいるかもしれない。
言葉って難しくて、奥が深い。

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