【体験談】パワハラに合い早期退職した話 第3話

転職

3交替研修を終え、昼勤が始まった。

地獄のような3か月の3交替研修を終え、プレハブ小屋(第1話参照。総合職のオフィス。)での昼勤がスタートしました。私の所属する部署は、「材料を溶かして成分調整を行い、製品の大元となる原料を作り出す」工程を担当しているのですが、この工程も、大きく二つに二分することができます。

前半:材料を溶かして成分調整を行う
後半:成分調整済みのどろどろの材料を、下の工程で加工しやすいように、ブロックにする

この文章で、何の業界か、わかる方もいらっしゃるかもしれないですね。
私は、このうち、前半の「材料を溶かして成分調整を行う」課に配属されることになりました。この課は、過去に一人も女性の総合職が配属されたことがない課でした。現場ですら、女性の方は一人もいません(過去には女性が、現場職として配属されたこともあったそうなのですが、工場内に浮遊している細かい粉が、女性の人体やおなかの中の子供に影響を及ぼす可能性が危惧されたり、力仕事が多いなどの理由で、ここ何年かは男性しかいないとのことでした。)

昼勤開始の初日、同じ課のチームで、ミーティングが開かれました。

machiyo
machiyo

〇〇課に所属することが決まったmachiyoです。どうぞよろしくお願いいたします。

あいさつすると、睨むような眼で私を見ながら、
「はいよろしく。悪いけど、この課は新入社員だからと言って、甘く見たりは一切ないから。ほかの社員と同じように評価するので覚悟してね。」
とK課長に言われました。そう、このK課長こそが、私を最終的に退職にまで追いやった、パワハラ上司でした。挨拶などで、面識はありましたが、実質的に直接会話を交わしたのはこれが初めてだったと思います。初対面で、ここまで人ににらみつけられるとは思いませんでした。
今思うと、この時点で私は標的にされていたとおもいます。これまで何十年も男性だけで構成されていた課に、女性である私が配属されたのが気に食わなかったのかもしれません。なぜなら、それ以外に標的になるようなことをした覚えがなかったからです。

私の挨拶が終わると、ミーティングの中身に入りました。K課長は言います。
「一週間に、20チャージ分は試験をしろよ。最低でも10チャージ分な。最低基準もクリアできないやつなんて、ここにいないだろうな」

チャージとは?試験とは?
チャージというのは、かなーり語弊を含みながら大まかに説明すると、「材料を溶かして成分調整を行う」、1つのサイクルを指します。
試験というのは、かなーり語弊を含みながら大まかに説明すると、1チャージで材料に吹き込む還元剤や脱硫剤などの量を変えたり、加速度を変えたり、ガスの量を変えたりして、歩留まりの向上ができたか調査する実験・検証を指します。

そこで、入社二年目の若手社員Bさんが答えます。

Bさん
Bさん

「すみません、5チャージしかできてないです。」

「はあ!?お前真面目にやっとんのか。いい加減にしろよ。」

K課長の怒号が飛びます。
この時、私は1チャージ分の試験がどれほど時間がかかるものなのか、把握していなかったため、K課長の指摘が適当なのか、そうでないかの判断がついていませんでした。後日、先輩社員に聞いたところ、1チャージの試験で最低でも2,3時間かかり、試験材料を分析課に送り、帰ってきたデータを整理してまとめるところまで含めると、その倍はかかるとのこと。
最短で一つ4時間で終わらせたとして、他の仕事に一切手を付けなかったとしても、1日で2チャージ分、一週間で10チャージ分です。実際は、チャージの試験以外にも4,5個ほどの仕事を抱えているので、課長が最低ラインとして掲げている10チャージはどう考えても達成不可能とのことでした。10ですら、達成不可能なレベルですから、20なんて、常軌を逸しています。

K課長はBさんにも、日常的なパワハラを行っているようでした。ただ、Bさんは私とは違ってのらりくらりとうまくかわしたり、本気で受け止めすぎないようにしているようでした。ただ、毎日ストロングゼロの500mlを三缶、仕事帰りに買って、一人で晩酌しているのだそうです。

Bさん
Bさん

そうでもしないと、こんな仕事、やってられないよ

そう語るBさんは、どこかうつろで、定めを受け入れているような、表情のない目をしていました。

昼勤開始

昼勤が本格的にスタートしました。私には、入社5, 6年くらいの、社員Iさんが教育係としてつき、業務を行うことになりました。Iさんはとても仕事ができ優秀で、K課長からも一目置かれているようでした。一応、優しい方だったと思います。

Iさん
Iさん

最初の二か月ぐらいは、もっと課の管轄する現場のことを知ってほしいから、毎日現場に行って、毎日最低30個は質問して、ノートにまとめて、俺に出して提出して帰ってね。あと、わからないことがあったらいつでも聞いてね。わからないことを聞けるの、新入社員のうちしかないからね。あと、間違っても、K課長にあたりまえな質問をしないように。K課長は俺たちが想像できないくらい忙しいからそんな質問にかまってられないし、めちゃくちゃ怒られるよ

最後の一文でぞわっとしましたが、今となっては、Iさんなりに、私がK課長から被る害が少しでも軽くなるように、警告してくださっていたような気がします。

連日、質問30個のプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、車で課が担当する工場に赴き、できる限り現場の人に質問を繰り返しました。この工場は、3交替研修で、最初に研修を行った場所です。昼勤では、研修時にはお会いしたことがなかった現場の方とも多く出会いました。会うたび会うたび、いろんな年代の現場の方に、こう声をかけられます。
「女の子(女性)がこの課に来るなんて、初めてや。んで、どうしてこんなにつらい部署に来たの?」
「俺やったら(俺がmachiyoやったら)絶対にここにはこんな。」
「ここは絶対おすすめせんよ。体も壊すし、つらいし。無理せんようにな。」

そういえば、三交替研修時も、現場の人から同じ言葉をもらっていたのを思い出しました。

ついに始まった、パワハラ

昼勤が始まって二日目か三日目くらいでしょうか。デスクで作業をしていると、課長席に座っているあのパワハラK課長から、メールが届きました。CCに、部長やら、他の課長やら、いろんなお偉いさんの名前が入っています。

この試験の技術書を作成してください。

期限も、方法も、何も書いていません。具体的に何をするかもまったくわからなかったため、隣のBさんに聞いてみることにしました。

Bさん
Bさん

あ~。これはね、専用のPCソフトが必要だよ。このソフト、まだmachiyoさんのPCには入っていないから、技術課に頼んで、入れてもらわないといけないね。技術課の人に連絡取っておくよ。

Bさんが連絡を取ってくださったおかげで、技術課の人が私のところまできて、私の個人パソコンを回収していきました。数日かかるとのことで、それまでは貸し出し用パソコンを使うように言われました。(貸出用パソコンは、社員に一時的に貸し出すためのPCで、専用のPCソフトは付属していません)

K課長に、専用PCソフトが届いておらず、今すぐには技術書を作成することができない旨を伝えなくてはなりません。K課長のほうを見ても、K課長は画面を気難しそうににらんでいるだけです。そこで、Iさんの言葉が脳に浮かびました。「間違っても、課長にあたりまえな質問をしないように。課長は俺たちが想像できないくらい忙しいからそんな質問にかまってられないし、めちゃくちゃ怒られるよ

得体のしれない恐怖感が私を襲います。胃が痛くなりながらも、メールに返信をする形で、K課長に報告を行うことにしました。

K課長
お世話になっております。machiyoです。
本件ですが、現在所有のPCに必要なソフトがインストールされていない状態ですので、現在技術課にインストールを依頼している状態です。準備ができ次第、早急に取り掛からせていただきます。

びくびくしながら送信ボタンを押しました。K課長席に座っている課長からの恐ろしい視線を感じます。メールを送信した後、K課長のほうから舌打ちのような音が聞こえました。私のメールに対しての舌打ちなのか、はたまた私の聞こえ間違いだったのか、それはわかりません。
30分後くらいに、返信のメールが届きました。

”え?ソフトがなくても、そんなのワードとか、エクセルとかでできるでしょ。
びっくりなんだけど。唖然。”

宛先もなく、本文に書かれた突っぱねるような言葉。CCにはもちろん、部長やら、他の課の課長やら、職位が上の方々の名前がびっしりと入っています。左手から、K課長の視線を感じます。びくびくしながら、承知しました。と返信しました。

次の日。私はとあることに気が付きました。パワハラK課長は機嫌を悪くすると、課の全員が聞こえるように独り言を言います。明らかに、聞かせることを意識したようなセリフです。人を小馬鹿にするような声色で話します。

Iはほんとに、気が利いて優秀や。それに比べて一週間で5チャージしか試験できない馬鹿たれや、常識なしで仕事の言い訳する奴もいる。全然違うわ。」

という独り言が聞こえてきました。きっと、「常識なしで仕事の言い訳する奴」は、私のことを指していたのでしょう。

初めての技術書作成を開始して二日ほど時間が経過しました。隣のBさんや、Iさんから教えていただきながら、少しずつですが、完成に近づいていました。Iさんからは、「この企画書は、だいぶ猶予があるやつだから、焦らなくてもいいよ」と言われていましたが、わたしは内心焦っていました。中途半端なものを持っていけば、また何か言われるに違いない・・・。
恐怖と焦燥感にかられながら、デスクに向かっていたその時。また、K課長の席から舌打ちのような音が聞こえました。「ふざけんなよ」といった小さな声も・・・。これは私に対してのものなのか、何なのか、まったくわかりません。びくびくしながらデスクに向き合っていると・・・

「おいmachiyo!おまえいい加減にせえよ。今すぐここにこい」
という怒鳴り声が、プレハブ小屋全体に響き渡りました。震えるような声で「はい。」と答えて、急いでデスクを片付け、(デスクに広げた資料は、取引先や一般人に見られてはいけないので、必ず伏せてから移動するというきまりがあります)K課長のもとに向かいました。その時、また大きな怒鳴り声が響き渡りました。

「おまえ、いちいち動きがおせえんだよ。なめてんのか。」

特別準備が遅いわけではないのに、なぜこんなことを言われないといけないんだろう。
泣きそうになりながら、小走りで向かいました。その際は、確か技術書の提出が遅いだの、常識がないだの、いろいろなことをプレハブ小屋全体に響き渡る声で言われた記憶があります。

ほかにも、K課長との面談シートに書いた内容を、他の社員に聞こえるように読み上げて、
「おまえがかいていることは当たり前のことだから消せ。書き直しだ。」
「おまえは三交替研修で何を学んだのか?」

と見せしめのように言われたこともありました。

いつしか、30個の質問をしに、工場に行って現場の人と話している時間だけが唯一の安心できる時間になりました。現場の人にも癖のある人はいるし、30個も質問をするのはストレスではありましたが、課長からのパワハラに比べれば、100倍くらいましだったのです。時には心優しい現場の人に、K課長の愚痴を聞いてもらうこともありました。

周りの社員たちの、見て見ぬ振りもつらかった

パワハラと同じくらいつらかったのが、周囲の社員の見て見ぬふりです。この会社は時代錯誤なレベルで上下関係が厳しい超体育会系の会社でしたから、職位が下の社員が上の社員に何か言える風土ではなかったのです。毎日見せしめのようにオフィスに響き渡る声で怒鳴られているのにもかかわらず、聴こえていないようにふるまい、キーボードからカタカタカタカタ、音を鳴らし続ける周りの社員も、いつしか気味が悪く感じるようになりました。

意味が分からない席替え

毎日辛い思いをしながらも、隣のBさんや、後ろの席のIさんにわからないことを聞くことで、亀の歩みながらも、仕事を進めていましたが、ある時K課長が急に言いました。
「急だけど、席替えをするから。B、おまえ向こうの席に移動な。」
理由も説明せず、いきなりです。どういった意図があったのか、知る由はありませんでしたが、今となっては、わからないことを気軽に聞ける隣のBさんを遠くに移動させ、私の居心地を悪くさせる意図があったんじゃないかと思います。(そういう理由ではなかったことを祈るばかりです。)

先輩若手社員が開いてくれた飲み会も、つらさに追い打ちをかけた

ある時、入社五年以下の先輩 (6人くらい。IさんおよびBさんは不在) が、新入社員歓迎会をしたいとのことで、仕事終わりに飲みに誘ってくだりました。私はお酒を飲めない体質なので、終始ソフトドリンクを飲みながら過ごしていました。新入社員歓迎会とは言いましたが、実際は先輩がワイワイ騒ぐ会だったので、パワハラのことについて、相談できる雰囲気ではありませんでした。(先輩方なりの優しさだったのかもしれません。パワハラのことを忘れて私にワイワイしてほしかったのかも。)
話下手なのと、みんなでワイワイ羽目を外して騒ぐノリが苦手なこともあり、私は空気のような感じでした。終始飲み物を飲み、先輩方の笑いに同調したり、うんうんうなづいたりして、時間が過ぎるのを待ちました。特段楽しくも、つまらなくもない飲み会がお開きになったとき、事件が起きました。

普段はとてもやさしい一つ上のM先輩が、酔っぱらっていつもとは違うオラオラ系に豹変しており、急に無茶ぶりをしてきたのです。
「machiyo、俺ら酔ってるから、俺の車を運転して寮までおくってくれ。」
ちょうど、三交替研修中に、物損事故を起こしたばかりの私は、電動自転車通勤を織り交ぜたり、通勤以外は車を運転しないなどをして、対策していました。

machiyo
machiyo

「物損事故を起こしたばかりで人の車を運転するのは自信がないです。事故を起こしてしまうと思います。本当に嫌です。」

精一杯断ったのにも関わらず、
「俺ら先輩のいうことがきけないのー?」
などと言われ、半ば強引に運転席に押し込められました。
「ここら辺は運転したことあるかなー?俺らは道、教えないから適当に運転してみて笑 俺の車だからな。責任もってな笑」
そういわれ、車の運転に慣れていないのにもかかわらず、道案内もしてもらえずに、都会の道に放りだされました。道がわからないので、同じ場所をループしてしまったりが多々あり、そのたびに
「まさかここまでわからんとはおもわんかった笑」「運転まじでやばいな笑」
等、後ろの席に座る先輩社員3人が馬鹿笑いをしています。
寮に帰るためには、大きな橋を渡らなければならないことは覚えていたので、橋に向かって河川敷のような場所を進むことにしました。あたりが真っ暗だったため、一時的にですが、ハイビームにすると、後ろからまた馬鹿笑いが聞こえます。
「ハイビームとか、前の車に超迷惑やん。俺がされたら死んでほしいって思うかも笑」
この時、前方には車は走っていませんでしたし、歩行者などもいなかったと記憶しています。

machiyo
machiyo

「すみません、私車の運転苦手で、暗くて前がよく見えないので・・・」

そういっても、酔っ払いには届くはずもなく、馬鹿笑いを繰り替えすばかりです。
悪戦苦闘しているうちに、先輩から、
「おまえが道に迷うおかげで日付超えちゃったやんけ。」
と言われました。そんなに言うなら運転代行をたのんでくれよと言いたい気持ちをぐっとこらえ、

machiyo
machiyo

・・・すみません。

ということしかできませんでした。どうにかこうにか頑張り、寮にたどり着いて先輩方を駐車場におろした時。
先輩の第一声は「machiyoってほんとに運転下手やな」でした。

パワハラを受けて、心身に起こった異変

昨日の飲み会から、私は普段は優しい若手の先輩社員数人にも不信感を抱くようになりました。飲んで豹変した姿や、運転の強要に加え、飲み会の最中に、その場にいないBさんの悪口でけらけらと笑いあっていたのが理由です。
そんな状態の中、日々を過ごしているうちに、ついに、心身に異変が起きるようになりました。
おそらくこのあたりから、うつ病or適応障害の初期症状のようなものが出ていたのでしょう。
いくつもありましたが、代表的なものを以下にまとめます。

①衝動買いしやすくなる(初期症状)
私の場合、心身の異変の初期症状は、衝動買いをしやすくなる、というものでした。少しでもほしい!と思ったものはすぐに購入するため、結果的に買ったことを後悔するものもありました。
あれほどの衝動買いをしていたのは、当時しかなかったと思います。
②人に会いたくない。連絡も取りたくない。
もともと一人が大好きな私ですが、連絡などは、できる限り早く返すように努めていました。しかしながら、異変が起きてから、人と会うことや連絡そのものがとても苦痛になりました。具体的には、寮で、同期に見つからないように、夕食を食べる時間をずらしたりするようになり、いつもは即レスするLINEの連絡を返信するのがおっくうになり、放置してしまったりするようになりました。
なぜ、同期に見つからないようにしていたかというと、同期が何人かでご飯を食べたりしているところに遭遇すると、会話や笑い声が聞こえて、それが恐怖につながるからです。
③眠たいけど、眠るのが怖い。朝になって、出勤時間を迎えてしまうから。
つかれているので、常に疲労感や、眠気はあります。あるのですが、このまま布団で寝てしまうと、また地獄の出勤時間が訪れます。少しでも出勤までの時間を長く感じたいがために、無理をして明け方まで起きてしまうことがありました。
④集中力が低下する。覚えることができない。
集中力が驚くほど低下しました。画面を眺めていても、スクリーン上に文字列が並んでいるだけといった感覚です。
⑤性格が攻撃的になる。
なんて自分は不幸なんだという絶望感からか、周りが何不自由なく暮らしているように感じられ、イライラして攻撃的な性格になっていました。
⑥自然と涙があふれる
プレハブ小屋から担当の工場へは、車を使って移動します。工場に到着し、それじゃあ、現場に向かうか、と車のエンジンを切った時のことでした。体が動かなくなりました。「心が、苦しいから行くな、行くな」と、体にブレーキをかけているような感じです。しばらく私はシートにもたれかかり、無の状態になっていました。その時、自然と涙が、ぶわっと流れてきました。
「うつ病の症状として、涙が出てくる」というのはとても有名です。涙が出てきたとき、もしかしたら私、うつ病かもしれない、と感じました。心が警報のサインを精一杯鳴らしているんだと思いました。


第四話に続きます。

第四話では、異常な会社の体質や他の同期が体験したパワハラについて書いていきます。

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